①京都奈良一泊二日御朱印御城印巡りの旅(その1)
5/17.18はとーちゃんと一泊二日で
京都と奈良へ行ってきました〜♪
御朱印御城印巡りの旅を満喫!!!
写真だけの下書きブログが
(その9)になっちゃいました〜(笑)
何日かかるかわからないけど順に
文字入れしてアップしていきます(*^^*)
肌寒い曇り空の中朝5時に自宅を出発🚙
コンビニ🏪で朝ごはんを購入(^Q^)
お約束の伊勢湾岸自動車道の
ブリッジを撮影(^_-)-☆
雨粒💧が落ちそうな感じですがお天気は
1日曇りの予報☁
草津PA(下り)トイレ休憩🚻
出発から2時間ちょっとで最寄りの
駐車場🅿️に到着!ここから京都散策です!
7:20『清水寺』到着!
最初に目に飛び込んできた朱色が
鮮やかで美しい(〃∇〃)
仁王門
西門
鐘楼
三重塔
日本が建国される前に誕生したと
言われている「地主神社」。
縁結びのご利益がもらえるとして
有名です。元々は清水寺の鎮守社
(ちんじゅしゃ)だった地主神社は
明治時代の神仏分離によって
清水寺から独立。今では日本有数の
恋愛が成就するパワースポットとして
多くの人が訪れています。(ネット参照)
地主神社
参拝しました(^o^)
出世大黒天
清水寺は、宝亀9年(778)に延鎮上人
という僧侶が夢のお告げで北へ清泉を求め
現在の清水寺のある地、音羽山に向かった
ことが開創とされている。
国宝や重要文化財が建ち並ぶ境内には
自然と歴史情緒のコントラストにより
美しい景観が生み出されている。
平成6年(1994)にはユネスコ世界文化遺
「古都京都の文化財」として登録された。
「清水の舞台」で有名な本堂は清水寺を
訪れる上では欠かせないスポット。
崖からせり出した舞台から望む景色は
その美しさのあまり言葉を失ってしまうほど。
地上からは、ビル4階に相当する約13mの
高さがあり、懸け造りと呼ばれる釘を
一切使用しない、伝統的な建築技法が
用いられている。(ネット参照)
本堂(清水の舞台)
奥の院のふれ愛観音
納経所は8時からだったので
並んで待ちました。ワクワク♡
直書きの御朱印いただきました(1枚目)
素敵な眺め(*^^*)
本堂(懸け造り)
音羽の滝
清水寺を後に茶わん坂を下り
最寄りの駐車場も通り過ぎ
東大路通りの五条坂バス停へ…
バス🚌で3区、降りますボタン
押しました(^_-)-☆
バス停は博物館三十三間堂前
8:32『三十三間堂』にやって来ました♪
修学旅行シーズンなのか朝から
学生さんがいっぱい!
拝観も参拝も大変なことに(^O^;)
【三十三間堂の歴史】
三十三間堂という名前は、南北120mに渡る
大きな本堂の内陣に「33の柱間」があると
いう特徴から由来します。「三十三」という
数字にも理由があり、 観音様が人々の救済の
ため「三十三の姿に変化する」 という
エピソードに基づいています。
三十三間堂は蓮華王院の本堂として
1164年に平清盛の寄進により、後白河上皇の
法住寺殿内に離宮として建てられました。
創建当時の外装は朱塗り、建物の内部は花や
雲文様などが極彩色で彩られ、豪奢な作り
だったと伝えられています。
創建から80年後に焼失してしまいましたが
後嵯峨上皇によって1266年に再建された
ものが現在まで残っています。
室町時代に入ってから足利義教により
本格的な修復が行われ、全てが完成する
までには5年もの年月を費やしたと
いわれています。
【仏像の見どころ】
千手観音坐像は蓮華王院の本尊で、
鎌倉時代後期の仏師、湛慶(たんけい)と
その弟子たちによる作品です。
左右1000体の立像の中央、高い位置に
安置されています。高さ3.35m、 背後の
光背まで含めると約7mにも及ぶ大きな
坐像はヒノキ材の寄木造りで、漆を塗った
上に金箔が施されており、国宝に指定
されています。42本の手で「千手」を
表現し、尊くも暖かい表情が特徴的です。
国宝|千体千手観音立像
中央に鎮座する千手観音坐像の両脇に
配置されています。左右10列の各段に
50体ずつ整然と並ぶ様子は壮観で、
三十三間堂ならではの景色といえます。
坐像の背後にも立像が1体安置されており
立像だけで1001体 という数です。
本尊と同じヒノキの漆箔に寄木造りで
一体一体が11の顔と40の手 を持っている
なんとも巧緻な作りです。1249年の火災で
そのほとんどが失われ、創建時の平安時代の
像は124体が残るのみ。あとの像は全て
鎌倉時代に16年をかけて再興され、日本中の
著名な仏師がこの一大国家プロジェクトに
関わりました。一体一体魂を込めて作られた
仏像たちは、それぞれ違った表情を湛えて
おり、 会いたい人に似た顔の仏像を見つける
ことができるとも伝えられています 。
2018年 国宝に指定 されました。
(ネット参照)
パンフレット
ネットでお借りしました✨
直書きの御朱印いただきました(2枚目)
写真撮ってたら…
住職さんがたくさん集まってきた(・o・)
朝のお努めかな?
8:59 次に訪れたのは『豊国神社』
【尊王の精神が支えた豊国神社】
1598年伏見城で生涯を終えた豊臣秀吉は
自身の遺言により、比叡山から稲荷山まで
続く東山連峰の秀峰「阿弥陀ヶ峰」に埋葬
されます。のちに後陽成天皇により
「豊国大明神」の神号を与えられ
「豊国社(とよくにのやしろ)」が建立
されました。日本最初の権現造りで
壮麗にして雄大な社殿であったそうですが
1615年の大阪夏の陣後、徳川幕府によって
取り壊されてしまいました。
それから200年以上の歳月を経て、明治天皇の
御沙汰により再興されることとなりました。
きっかけとなったのは、全国統一を成し遂げた
にも関わらず幕府を開かなかった秀吉の
「尊王の精神」。現在の豊国神社は秀吉の
精神によって蘇ったといえます。
(ネット参照)
招福白虎
国宝「豊国神社唐門」
直書きの御朱印いただきました(3枚目)
今回はここまで
ブログにお越しくださり
ありがとうございました❤