⑨京都奈良一泊二日御朱印御城印巡りの旅(その9)最終回
京都奈良御朱印御城印巡りの旅
(その9)最終回の更新です(^o^)
《2022/05/17〜2022/05/18》
前回若草山、奈良公園、春日大社
興福寺を巡り猿沢池のほとりの茶屋で
うどんを堪能し駐車場に戻った
とーちゃんと たかばぁー
最後の目的地『郡山城』へ移動です🚙
郡山城は筒井順慶が織田信長の後援に
よって、松永弾正久秀を破り、宿願の
大和統一をなし遂げて、天正8
(1580)年に郡山に入り、築城に着手
している。しかし、本格的な郡山築城は
天正13(1585)年に大和・和泉・紀伊
三ヶ国の天守として豊臣秀長(秀吉の弟)
が入城してからのことである。
慶長5(1600)年に関ヶ原の戦いが起き
西軍の敗北とともに郡山城は徳川方に
接収されて取り壊しとなり、建物の全ては
伏見城に移された。
元和4(1618)年に松平下総守忠明が
城主となったが、その時点で城には十分な
建物とてなく、家康の命によって多くの
建物を伏見城から再び郡山にもどし
近世郡山城の偉容は整った。
享保9(1724)年甲府城から郡山に移封
なった柳澤甲斐守吉里から、5代に渡り
受け継がれた郡山城も、明治維新を迎えて
廃城となり全ての建物は取り払われて
しまった。(ネット参照)
『柳沢文庫』郡山城跡内にある
地方史誌専門図書館。
こちらで御城印がいただけます。
書き置きの御城印いただきました(3枚目)
『極楽橋』
『柳澤神社』
『天守台』
天守台からの眺め♪
『さかさ地蔵』
郡山城の本格的な築城は、1585年以降
豊臣秀長(秀吉の弟)が入部したときで
100万石の居城にふさわしい城造りが
なされた。紀州根来寺の大門を運んで
城門とし、春日神社の水谷川から大石を
切り出し運び込まれる。築城のための
石不足となり、奈良中に五郎太石
(手のひらサイズくらいの加工されて
いない石 )の採集が命じられ、寺の庭石や
礎石、五輪塔、石地蔵まで接収された。
そういうわけで天守台には罰当たりな名所が
あり、地蔵菩薩が逆さに積み込まれている。
これは「さかさ地蔵」と呼ばれており
大永3年(1533年)の刻銘がある。また
平城京羅城門の礎石も積み込まれている。
(ネット参照)
『追手門』
『大和郡山市民会館』
『追手東隅櫓』
『追手向櫓』
旅の日程は全て終えましたが
京都で思うようにお土産が
買えなかったのでお土産を
買いに京都駅に向かいました🚙
道中高速からお城🏯が見えて
大興奮のたかばぁー(゚д゚)!
新たな旅の計画ができそう(笑)
位置的に多分伏見城かな?
京都駅に到着(^_-)-☆
『京都タワー』
お土産屋さん巡り満喫しました♪
「旬かさね」白菜、人参、生姜
菜の花、昆布、キャベツ、柚子
お味も見た目の断面もGood(^_-)-☆
抹茶フィナンシェと九条ねぎせんべい
晩御飯に駅弁を買って帰ることに🍱
たかばぁーは
「牛ステーキとうにかにいくら弁当」
豪勢です(^ρ^)
とーちゃんは
悩みに悩んで「炙り蒸し穴子重」
たかばぁーはお友達と職場に
おこげはんとチョコ八ツ橋
おこげはん買ったらクリアファイル
もらえました。パッケージと紙袋も
おそろいで可愛い♡
とーちゃんは職場におこげはんと
三年坂で買った舞妓はんひぃーひぃー
そしてベネットの抹茶チーズケーキを
買いました(*^^*)
帰りは自宅までノンストップ!
お約束の伊勢湾岸自動車道の
ブリッジを帰りも撮影📱
19時頃帰宅しました(^_-)-☆
ブログ①〜⑨写真総使用数 273枚
京都御朱印 16枚
奈良御朱印 8枚
京都御城印 2枚
奈良御城印 1枚
京都散策距離 11.5Km
奈良散策距離 10.0Km
散策だけでトータル21.5Km
車でも他に9か所訪れているので
実際に歩いた距離はかなりの
数字になりそうです(^_-)-☆
とってもハードでしたが
思い出深い旅になりました♪
一緒に楽しんでくれた
とーちゃんに感謝です♡
運転もお疲れさまでした(〃∇〃)
ブログにお越しくださり
ありがとうございました❤