⑤京都奈良一泊二日御朱印御城印巡りの旅(その5)
京都奈良御朱印御城印巡りの旅
(その5)の更新です(^o^)
《2022/05/17〜2022/05/18》
前回平安神宮、銀閣寺、二条城
御金神社を巡った とーちゃんとたかばぁー
14:53 次に訪れたのは『梛神社』
鳥居の左右にある別名の石柱そして
横並びの本殿が珍しい神社でした(^_-)-☆
境内に「梛神社」と「隼神社」ふたつの
神社が存在していました(^o^)
ネットでお借りした画像ですが
こんな風に並んでます(*^^*)
直書きの御朱印いただきました(12枚目)
書き置きの御朱印いただきました(13枚目)
この舞妓さんの御朱印、ネットで見かけ
特に楽しみにしていました〜♡
15:28 次に訪れたのは世界遺産『金閣寺』
鹿苑寺(金閣寺)は、1224年西園寺公経
(さいおんじ きんつね)が建てた西園寺と
山荘が始まりです。その後、1397年
室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け
自らの住まいとし、改築と新築を行い山荘
「北山殿」としました。鹿苑寺という
寺名になるのは、義満の死後のことで
義満の法号鹿苑院から由来しています。
鹿苑寺(金閣寺)を象徴するのが金閣です。
金色の舎利殿(金閣)は3層構造となって
おり、初層は法水院(ほっすいいん)と称し
寝殿造りとなっており、中層は、潮音洞
(ちょうおんどう)を呼ばれ武家造りと
なっています。そして究竟頂(くきょう
ちょう)と称される上層は、禅宗仏殿造りと
なっており、公家文化、武家文化、仏教
文化が見事に融合された室町時代を代表する
建築物です。また、舎利殿の頭頂部には
大きな羽を広げる鳳凰像があり豪華絢爛な
建物となっています。
平成6年(1994年)世界文化遺産に登録。
(ネット参照)
スマホを構えパチリ📱
するととーちゃんに「池に写る金閣も
一緒に撮るといいんじゃない」と言われ
改めてパチリ📱
おっ!逆さ富士ならぬ逆さ金閣だ!
それなら縦でもパチリ📱
お気に入り画像になりました(*^^*)
きらびやかな鳳凰🦃
金閣寺庫裏は江戸時代後期の1835年
(天保6年)頃に再建されたとも言われて
います。庫裏はかつて室町時代の明応
文亀年間(1492年~1501年・1501年~
1504年)に建立されたとも言われています。
なお庫裏には屋根に煙出しがあり
元々台所として使われていたが、その後
1987年(昭和62年)まで宿坊(しゅくぼう)
として使われ、現在は写経に使われています。
(ネット参照)
写経体験いつかやってみたいな(^_-)-☆
『金閣寺庫裏』
直書きの御朱印いただきました(14枚目)
かなり暑くなってきたので休憩
水分補給🥤とソフトクリーム🍦🍦
自販機の宇治茶のフィルムが源氏絵でした。
たかばぁーは抹茶ミックス
とーちゃんはストロベリーモンブラン
16:16 最終日程の『龍安寺』に
やって来ました(*^^*)
この時のたかばぁーは膝の痛みがさらに
強くなり石庭もそこそこに写真を
少しだけ収め早々に退散、一日歩き通し
だったので疲れ切っていました(^O^;)
龍安寺は室町幕府の管領・細川勝元が
1450年に創建した臨済宗妙心寺派の
禅寺です。有名な「石庭」は、1499年に
住職の居室である「方丈」が建立された
際の造営といわれていますが、正確な
築造時期や作者、作庭意図は謎に包まれて
います。1975年にエリザベス2世が龍安寺を
公式訪問した際に石庭を絶賛した事と
当時の禅ブームの後押しもあり、龍安寺の
石庭は世界的に有名な庭園となりました。
1994年に「古都京都の文化財」の1つとして
ユネスコ世界遺産に登録されています。
(ネット参照)
方丈の龍の襖絵
撮り忘れて池越しの遠目からの一枚(^_^;)
直書き時間に間に合わず書き置きの
御朱印いただきました(^_^;)(15枚目)
全体のバランスと石の1画目の文字の
太さが素晴らしい♡
書き置きの特別御朱印も
いただきました〜(16枚目)
17:53 龍安寺から車で1時間15分ほどで
奈良のホテルに到着!
外で食事する予定が二人とも
お疲れモードでルームサービスを
利用することに…
とりあえずあくる日に備えスギ薬局で
膝のサポーターと足の爪が気になるので
爪切りと飲み物などを買い込みました。
ルームサービスのディナー
ファミレスメニューみたいな食事(笑)
今回はここまで
ブログにお越しくださり
ありがとうございました❤